アメリカは世界のテキーラ輸出量の約8割を占める、世界最大のテキーラ消費国です。
でも、なぜここまでアメリカでテキーラが広まったのか。その背景は意外と知られていません。実はそのきっかけのひとつは、1920年代の禁酒法でした。
禁酒法がテキーラをアメリカに連れてきた
1920年、アメリカ国内でお酒の製造・販売・輸送が全面的に禁止されました。いわゆる「禁酒法」の時代です。
お酒が手に入らなくなったアメリカ人が目をつけたのが、南の国境を越えた先にあるメキシコのテキーラ。禁止されているからこそ欲しくなる——その心理もあり、テキーラは密輸という形でアメリカに流入し、アメリカ人の間に広がっていきました。
1933年に禁酒法が撤廃されたあとも、一度根づいたテキーラの存在感は消えませんでした。メキシコとの地理的な近さも手伝い、テキーラはアメリカの酒文化にじわじわと浸透していったのです。
「飲みすぎて翌日最悪」のイメージ時代
ただし、当時のテキーラのイメージは決して良いものではありませんでした。
1980年代のアメリカでは、大学生が春休み(スプリングブレイク)にメキシコへ旅行して、とにかく安いお酒を飲みまくる文化がありました。テキーラはその「飲みすぎて翌日最悪」なお酒の代名詞。ショットで一気飲みして、ライムをかじって、塩を舐める——あの「罰ゲーム的なテキーラ」のイメージは、まさにこの時代のアメリカで作られたものです。
転換点①:パトロンの登場(1990年代)
テキーラのイメージを変えた最初の転換点が、1989年に誕生したパトロンです。
それまでのテキーラは安酒のイメージでしたが、パトロンはコルクのついたデキャンタボトルで高級感を演出。**「テキーラはワインやウイスキーと同じように味わうお酒だ」**という新しいポジションを作り上げました。
100%アガベ、丁寧な製法、洗練されたパッケージ。パトロンの登場によって「プレミアムテキーラ」というカテゴリが初めてアメリカ市場に確立されたのです。
転換点②:カサミーゴスとセレブブランドの波(2010年代〜)
次の大きな転換点が、2013年にジョージ・クルーニーが立ち上げたカサミーゴス。
Part48でも紹介しましたが、クルーニーは「自分たちが毎日飲みたいテキーラを作りたかった」という動機でブランドを設立。ハリウッドスターが本気で作ったテキーラとして話題になり、テキーラはセレブのお酒として一気に認知が広がりました。
そしてクルーニーはわずか4年後の2017年、カサミーゴスをディアジオに最大約10億ドル(当時の為替で約1,100億円)で売却。テキーラブランドがビジネスとしても桁外れの価値を持つことを世界に証明しました。
その後もドウェイン・ジョンソン(テレマナ)、マイケル・ジョーダン(シンコロ)、ケンダル・ジェンナー(818)と、次々にセレブがテキーラブランドを立ち上げる流れが加速。テキーラは今やアメリカで最も成長しているスピリッツカテゴリーのひとつになっています。
まとめ:禁酒法→安酒→プレミアム→セレブ
アメリカでテキーラが広まった歴史を振り返ると、4つのフェーズがあります。
禁酒法時代の密輸で入口ができ、スプリングブレイクで「安い酒」として広まり、パトロンが「プレミアム」の概念を作り、セレブブランドが「ステータスの酒」に押し上げた。
テキーラのイメージは、時代ごとに塗り替えられてきました。そして今、日本でも同じ変化が始まっています。
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